ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

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SAMPUKU爺様提供の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年8月10日 長万部機関区

車歴は↓こちら。

9658 機関車データベース (形式9600) - デゴイチよく走る!

 

北海道のカマとしては珍しく補助灯がありません。それにしても補助灯を点灯させたところなど、写真も含めて見たことがありません。大きな前照灯LP403が太目のボイラーにお似合いです。因みに補助灯としてよく使われているシールドビームはLP405。C62がLP405を装備している姿はちょっと悲しいです。

前端梁のゼブラ模様はフリーハンドで、機関車によってその描き方はマチマチです。嫌いな人はホントに嫌いなようですが、私は全然気になりません。縞模様ではなく、黄色一色ではまずいのでしょうかね。青森には全身オレンジ色(鉛丹色?)のキューロクがいたそうです。

ナンバーが「96 58」と、「96」と「58」の間にスペースがありますが、キュ―ロクでは何両かに見られました。「D51 58」のように形式と機番との間にスペースを置く感覚で製作したのでしょうけれども、これだと「形式9600」ではなく「形式96」になってしまいます。「59627」なんぞは「5 96 27」ってなってましたよ。今風な表し方だと「9600-58」となるでしょうか。

画像は炭水車に給水を行っているところですが、アッシュピットがあるので灰落としもできます。撮影に夢中になって、うっかり落ちたら大変です。右側に積まれたのは石炭でしょうが、給炭は別の場所で行うのでしょう。給水を行うスポートは、ちょっとした駅のホーム端にも設置されていました。蒸機はとにかく水を飲みます。石炭は足りても、水はちょくちょく補給せねばなりませんでした。

皿のない回転火の粉止め、通称クルクルパーですが、一見、継ぎ足し煙突のように見えます。実際の所、あの皿ってどんな役目をしていたんでしょうかね。ファンからはすっげ~嫌われていました。

9644・9654

機関車を番号順にアップしていたら、自分が撮影していた番号がないことに気付いたので、急遽、参戦することにしました。再アップの画像になりますが。

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昭和50(1975)年1月2日 鷲別機関区

 

↓この画像は転載しないで下さいね。

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昭和43(1968)年9月1日 小樽築港機関区

9644の車歴は↓こちら。

9644 機関車データベース (形式9600) - デゴイチよく走る!

煙室扉と前端梁に施されたトラ模様(警戒色)が煤ですっかり黒ずんでいます。北海道のカマは汚れ放題でナンバーすら読めないものがあるほどでしたが、そういう機関車ばかり見てきたので、後年、写真で九州のカマを見た時には、その美しさにビックリしましたよ。ウェスで磨きをかけていたんですね。

 

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昭和50(1975)年4月2日 帯広駅

9654の車歴は↓こちら。

9654 機関車データベース (形式9600) - デゴイチよく走る!

右運転台に改造された機関車で、逆転機が右側にあります。五稜郭区の入換機関車だと、前照灯も右側だけに取り付けたものがあったりします。入換機なので不要なデフなど撤去すればいいのにと思いますが、案外、デフ付きの入換機ってあちこちで見かけたような印象です。特にキューロクの場合、北海道の切り詰めデフはなくていいじゃね?と思えて仕方ありません。

9618~9657までの2次型と呼ばれる9644ともども、キャブの側窓は独立2枚のオリジナルの雰囲気をよく残しています。

 

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昭和51(1976)年3月4日 小樽築港駅

当時この機関車に限らず、右運転台と知っていたら、キャブの中の写真を撮っていたかもしれません。残念。真ん中の画像に写る「59609」は話題の機関車です。

 

ところで9600形式の試作機的存在だった初代9600形式(僅か3か月間の襲名だったとか)、後の9580形式のクランク先行の件ですが、「記録写真 蒸気機関車」(交友社刊)を見ると、ちゃんと右先行になっていました。となると、9600形式の左先行が一層際立ちます。

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SAMPUKU爺様提供の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和52(1967)年8月20日 平機関区

車歴は↓こちら。

9657 機関車データベース (形式9600) - デゴイチよく走る!

形式入りの古風なナンバープレートが印象深いです。正面以外の3面のナンバープレートがどうなっていたのかは不明です。

煙室前部の両側、ランボードの上に鎮座するものは一体何なのでしょう。角状の枠の中に円筒状のものが収まっています。他のキューロクでは見られない「部品」です。前回の9646にも同じ個所に似たような部品が取り付けられています。

そしてその部品の外側には手摺が立っています。この位置の手摺というのはなかなか見かけませんが、同じ平区の「29609」にも同じ手摺があります。

煙室扉回りの手摺ですが、もともとキューロクの場合、煙室扉のヒンジ付近までぐるりと回り込んでいるのですが、この機関車はD51のように途中で切れています。その切断の際にちょっとしくじったのか、何だか歪んでいますね。

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SAMPUKU爺様提供の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年8月1日 直江津機関区

車歴は↓こちら。

9646 機関車データベース (形式9600) - デゴイチよく走る!

この機関車、戦前には富良野機関区に配置されたこともあるようです。キャブの側窓が独立した2枚窓になっていますが、製造当初のままなのでしょう。多くは横長の連続窓に改造されています。

キューロクといえば、動輪が左側先行となっており、他形式とは逆になっていることで有名ですね。画像では動輪の釣合錘(つりあいおもり)の位置でそれが確認できます。左右のピストンが同じ位置にあると、死点となった時に動けなくなってしまいます。(自転車のペダルが垂直に立った状態では、いくらペダルを押し込んでも走り出しません。それが死点。ただしペダルには回転機構があって、垂直の力を水平力に変えることができるので、実質、死点はないに等しいです。)そこで、両方のピストンが同時に死点とならぬように、車輪の回転角度90度分、左右でずらしています。3気筒のC53形式ならば120度。

どうしてキューロクだけこんな風にしたのか。それは図面を描き誤ってしまったからだと言われています。(キューロクの試作形式と言われる9580形式はどうだったのかは分かりません。)初期の機関車が落成後に修正しようとしたようですが、同じ機関車で二つのタイプがあるのは面白くないという理由ともならない理由で、結局、間違ったまま770両も製造されました。ただ、保守する現場では、クランクピンを削正する機械が右先行専用となっていたために調整には苦労したそうです。(実際にどう対応したのかは分かりません。180度、向きを変えたのかな?)

では運転上に支障があるのかというと、それはなかったようです。ただ機構としては前進後進を決める心向き棒が、通常だと下げで前進、上げで後進なのが、キューロクでは逆になっており、中途半端な知識でそれに気づいてしまうと夜も眠れなくなってしまうかもしれません。

 

SAMPUKU爺様の写真に引き続き、昨日から田中泰三様(故人)の写真も準備し出しました。元国鉄マンであり、昭和30年代より北海道から九州まで広域にわたり蒸機を中心に撮影されている方なので、古典機関車こそありませんが、見知らぬ機番が続々出てきます。SAMPUKU爺様を介して、ご遺族の了解を得た上での公開となります。当然、8620や9600もあるのですが、枚数が多くて整理するまでには時間がかかるため、また途中で形式・機番がバックしますのでご了承ください。

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SAMPUKU爺様提供の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年8月20日 平機関区

車歴は↓こちら。

88631 機関車データベース (形式8620) - デゴイチよく走る!

書体といい形式入りといい、格式あるナンバープレートは、機関車に品格を与える様に感じます。

後部標識灯のランプ受けが前端梁に付いているのは少数派。手摺付き除煙板取り付けによって邪魔になったのか、本来の手摺が撤去されています。

補助灯の位置が高目で、前照灯よりも偉そうにしています。

SG管が前方には伸びていません。

ステップには補強用の斜材があります。

庫の中だと側面がなかなか撮影し辛いのが残念なところ。

 

昨日、町内の集団検診を受けたのですが、会場の玄関でまず検温。したっけ、34.7℃しかなかったさ。非接触式の体温計を使っておでこで2回、首で1回測って、どれも34.7℃。故障しているのかと担当の人が自分を検温すると36℃なにがし。もう一回私を測るとやっぱり34.7℃。もしかすると、すでに私はこの世の人ではないのか。

接触式は表面の温度を図るため、汗をかいた状態では体温が低く計測されるようです。つまり肌の温度というよりは、肌表面の冷えた汗の温度を計測するという。実際その時は、少々汗をかいた状態でした。

で、今試しに古い体温計を脇の下に挟んで測ったら35.5℃しかない。いよいよ枯れてきたか?

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SAMPUKU爺様提供の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年8月20日 平機関区

車歴は↓こちら。

8697 機関車データベース (形式8620) - デゴイチよく走る!

ちょっとまたハチロクにバックします。比較的若番機ですが、平機関区に最後まで残った蒸機のうち1両だったとか。番号を並べ替えると6789のストレート。

ダラ~ンとしたブレーキ管はともかく、シールドビームの補助灯がデカく見えるのは気のせいでしょうか。

この機関車のデフも前端がリブで補強されています。ところで、デフに手摺があるのはいいのですが、フロントデッキ部の手摺が撤去されています。邪魔だったのでしょうかね。

煙室扉の蝶番部は、近代機関車のように上下のヒンジ2カ所となっており、オリジナルの1本棒を通した構造ではありません。

連結器の両側には前端梁にボルト穴が開いていますが、バッファの取り付け跡でしょうか。

回転火の粉止めのない化粧煙突が魅力的です。

前部ステップは斜材で補強していますね。平機の特徴かもしれません。

顔を出入口に向けて格納する車庫は、機関車の顔を撮影できるのがありがたいですね。

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SAMPUKU爺様ならびに田中泰三様提供の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年8月5日 小樽築港機関区

 

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昭和43(1968)年9月1日 小樽築港機関区

車歴は↓こちら。

9633 機関車データベース (形式9600) - デゴイチよく走る!

日本で最も有名となった9600形式でしょうか。と言っても、一般の人にはキューロクとデゴイチの区別もつかないでしょうけど。比較的若番であることと、NHK朝の連続テレビ小説「旅路」に出演したことが大きく影響して、昭和47(1972)年に梅小路蒸気機関車館(現 京都鉄道博物館)に保存されました。入換機なので地味な存在でしたが、ドラマの舞台が大正時代から始まるので、古めかしいこの機関車が選ばれたのではないかと思います。(私はドラマは見ていません。)

写真では形式無しのナンバープレートですが、ドラマの撮影にあたっては大正時代の雰囲気を出すべく形式入りのプレートに交換されたそうです。ところがそれは撮影用に用意されたレプリカではなく、長万部機関区で現役だった機関車がかつて装着していた本物の形式入りナンバープレートで、「9658」だったとか(「鉄道ファン 1967年4月号より)。写真はすでにドラマのロケを終えた頃のようで、この後にちゃんとした形式入りの9633のナンバープレートに交換されたようです。

大正時代と言えば電気式前照灯はなく、真空ブレーキだったので空気圧縮機も元空気ダメのタンクもなく、外観はかなりあっさりしていたのでしょうけれども、そこまで忠実に再現するのは費用の面でも運用の面でも困難だったのでしょうね。

「旅路」のビデオテープはほとんど現存しておらず(当時はビデオテープは非常に高価で、放送局ですら使い回しをしていたそうです)、今となっては幻の作品になってしまいました。

 

形式入りナンバープレートを付けて梅小路入りを控える9633。

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昭和47(1972)年6月17日 小樽築港駅

ゼブラも付いてるけどね。