ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C58 421

田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和47(1972)年6月14日 苗穂機関区

車歴は↓こちら。

C58421 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

前回の419号機同様に北海道スタイルの機関車です。メーカーズプレートが外されのは何ででしょう。ご丁寧にも剥がした跡は塗装されています。

釧網本線石北本線のC58のように話題に上がることなく、翌年の千歳線新線(苗穂~北広島)開業に合わせて苗穂機関区から蒸機は消えました。

C58 419

田中 泰三様の画像の転載はご遠慮ください。

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昭和46(1971)年2月7日 苗穂機関区

昭和46年ながら、除煙板の切り詰めが行われていません。釧路区から転属した機関車ですが、釧路区らしい外観としてはフロントステップの固定方法なのですが、それは下の画像でよく分かります。またドーム前の手摺も、丸味の大きいタイプです。

 

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昭和47(1972)年6月14日 苗穂機関区

除煙板は切り詰められ北海道仕様に。またドーム前の手摺は扇形の苗穂タイプに交換されています。

後方は函館本線千歳線。この当時、苗穂機関区には常に10輌以上の機関車が待機していました。所属機のC11、C57、C58よりも、他区からのD51の姿が目立ちました。1時間も居れば鼻の中はまっ黒黒介になったものです。国鉄の官舎は機関区からは離れていましたが(ドウデンの裏にあり、今はマンションが建っています)煙は漂っていたので、洗濯物なんかどうしていたのでしょう。

車歴は↓こちら。

C58419 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

C58 418

江別の鐵様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和50(1975)年3月 網走駅

 

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昭和50(1975)年3月 美幌~緋牛内

 

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昭和50(1975)年4月 北見機関区

車歴は↓こちら。

C58418 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

釧網本線の運用を終えて釧路区から北見区へ異動して間もない頃になります。なのでスタイルは釧路ガマそのもの。ランボードの白は、釧網本線でさよなら運転を行った時に差されたものでしょう。この年の春には石北本線でもSLさよなら列車を牽引することになりますが、その頃、除煙板には、なんちゃって「つばめマーク」が貼られたとか。

廃車後は縁もゆかりもない三重県熊野市に保存されるも管理が行き届かず、車体は錆にまみれ部品は著しく欠損し、見るも無残な姿に変貌。流石にこれでは不味いと思ったのか、整備することなく平成22(2010)年に解体されてしまいました。一時のブームに乗っかった保存車輛の典型的な末路でしょうか。不憫でなりません。

 

C58 416

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像の転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年 苗穂駅

入換に励むC58。専用機ではありませんが、昭和47、48年頃まで仕業に就いていました。琴似駅桑園駅でも入換を行っていたかもしれません。
奥には客車や貨車が見えます。跨線橋はホームと苗穂工場・苗穂機関区とを結ぶものです。

 

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不明 岩見沢第一機関区

補助灯が設置されているので、上の画像より後に撮影されたものでしょう。ランボードには大きな箱状の何かが載っています。キャブ前に設置されるのは清缶剤だったりしますが、これは何なのでしょう。

 

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昭和47(1972)年4月9日 苗穂機関区

すっかり北海道仕様になっています。

 

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昭和47(1972)年6月14日 苗穂機関区

 

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昭和47(1972)年8月6日 苗穂機関区

C58としては珍しく、動力式逆転機を装備しています。

パイプ類はランボード下部に収められていますが、C57は4次型からのスタイルです。

奥に見えるのは苗穂駅のホーム。柵を境に手前が苗穂機関区で、向こう側は苗穂駅ということでしょうか。後ろはD51のようです。重連単機で東札幌へ向かうのでしょうか。この当時は「SLダイヤ情報」が発刊される前で、蒸機の運用はさっぱり分かりませんでした。

車歴は↓こちら。

C58416 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

C58 415

SAMPUKU爺様と江別の鐵様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年 美唄

函館本線の旅客仕業があったんですね。室蘭本線の鷲別~追分間ではC58の貨物運用がありましたが、見たことはありませんでした。

ランボード上の大きな箱状のものは何なのでしょう。この5年後の下の画像にはありません。この当時、苗穂区所属機の特徴なのでしょうか。

 

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昭和47(1972)年7月 西の里信号場

旧線の旧西の里信号場です。本務機D51の前補機を務めるC58 415。札幌近郊にありながら、急勾配区間なので重連仕業がありました。私はこの時代、とうとうここを訪れることはありませんでした。後悔しきりです。

信号場のホームからの撮影だと思われます。伝え聞くところによれば、今、JR北海道の駅ではホームでの三脚使用禁止は言うに及ばず、撮影自体を禁止しているところもあるそうです。万が一の事故をおそれての措置なのでしょう。無人駅が増えて安全管理が行き届かない分(監視カメラは設置しているようですが)、ファンを排除する手段に打って出たのでしょうけれども、何とも不甲斐ない事です。完全にファンを「害虫」扱いです。「撮影は安全に行ってください」くらいに留められないのでしょうか。しょっちゅう車輛や線路に異状が発生してダイヤを乱している自身の安全管理は一体どうなっているのか、足元からまず見直して欲しいですね。

車歴は↓こちら。

C58415 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

C58 414

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昭和46(1971)年6月13日 苗穂機関区

 

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昭和47(1972)年8月6日 苗穂機関区

車歴は↓こちら。

C58414 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

千歳線で貨物列車を牽引したり苗穂駅構内で入換をしていました。この当時、苗穂機関区所属のC58は7輌がいて、414号機の他には393、415、416、419、421、425号機と、全て戦後型でした。苗穂区には他にC57、C11の配置もあり、C58が一番輌数が多かったのですが、機関区構内には他区からのD51が圧倒的な数で休息しており、C58はあまり目立たない印象でした。

この頃の苗穂機関区は事務所で撮影許可を簡単に貰えたのが嬉しかったです。もっとも、公道から忍び込むことも容易にでき、地元の子供たちが扇形車庫の周りでたまに遊んでいました。職員の子供だったのかもしれませんが。

道外の機関区では、事前にハガキで見学を申し込まなければいけない所もあったようです。季刊誌「蒸気機関車」には機関区のガイド記事が毎号掲載されており、許可の貰い方も紹介されていました。道内の機関区は大抵、ぽっと事務所に行って「撮影させて下さい」と申し出れば「はい、ノートに住所と名前を書いてね」で撮影させてもらえました。苗穂区ではヘルメットを貸してくれましたが、他の機関区ではそれはなかったように思います。

蒸機現役時代の写真集には機関区で撮影した写真が沢山ありますが、それは決して特別なことではなく、今から思うと夢のような出来事です。中学生時代の思い出です。

C58 410とC58 411

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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不明 苗穂機関区?釧路機関区?

車歴は↓こちら。

C58410 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

おそらく「架線注意」札のないことから釧路機関区でしょう。向かって左側の前端梁のステップの取り付け方が特殊です。除煙板をアーチ状に結ぶツララ切りが釧路区機関車の特徴ですが、除煙板の切り詰めはなされていません。後部標識灯の灯具掛けの位置が左右で異なります。なんで?解放テコ受けは両端が左右逆に取り付けられています。411号機と見比べて下さい。支障はないでしょうけど。

それにしても全検上がりなのでしょうか、照り輝く車体が美しいです。

 

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昭和42(1967)年8月10日 五稜郭機関区

先輪がスポーク輪心に交換されています。除煙板は切り詰めなし。

 

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昭和47(1972)年6月13日 五稜郭機関区

第一種休車中のようです。除煙板は切り詰めされてコの字型の手摺が追加されちゃいました。炭水車背面には灯具掛けが3カ所もありますが、北海道の機関車では珍しくなかったようです。それにしても後ろ姿はC59やC60と似ています。台車枠が違うので見間違うことはありませんが。

エプロンの形状が410号機と異なります。エプロンは後付けの部品で、取り付けの有無やその形状は機関区や施工工場次第なのでしょうね。

スノープラウの中央上端の切り欠きは幅広めです。

車歴は↓こちら。

C58411 機関車データベース (形式C58) - デゴイチよく走る!

 

そして今。

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令和元(2019)年6月16日 追分中学校