町内会の夏祭りの後片づけを終えて、いささかへばっておりますが、それにしても町内には元気な爺様が沢山いるものです。老若男女30人以上が二日がかりで設営したものを、老中年男女20人ほどがわずか半日で片づけてしまいました。
さて、昨日の記事の続きになります。北福岡駅で「はつかり19号」に道を譲った後、今度は八戸駅でしばし停車。その間に寝台特急が対向してきました。
そして青森。
結局、長時間、列車に揺られたのにもかかわらず、仕上がった年賀状は10枚かそこらだったような気がします。頭がボ~ッとなって何にも文章が浮かんできません。それでも青森駅の待合室でもう少し書き増しました。
深夜便なので、もう年賀状を書くのは諦め、翌朝、函館到着まで安らかに眠りました。せっかくなので、完成した分だけは連絡船内の郵便ポストに投函しました。連絡船の消印がどんなんだか知りたいと思い、自分宛にも年賀状を出しました。けれども年賀状だけあって、消印はありませんでした。orz
そして函館。
どちらにも食堂車はありませんが、やはり「北海」に乗ってしまいます。80系だし。
札幌駅に到着。
函館で顔を並べていた「北海1号」と「北斗1号」は、今度は札幌駅で「おおぞら3号」「北斗6号」と名前を変えて顔を並べています。
晩年にJR色から国鉄特急色に塗り戻されましたが、塗り分け線は本来のものとは微妙に異なっていました。
年賀状書きは自宅へ持ち越しです。あ~面倒くせ~。
昭和60(1985)年12月27~28日