十勝へ行きました。
札幌駅に到着すると特急列車が3本並んでおりました。壮観であります。
跨線橋のように見えるのはテルハ、昇降と水平移動による荷物運搬装置です。札幌駅の古い写真を見ると、この辺りにも跨線橋があったようです。それがテルハに変わったのかどうかは分かりません。テルハは4番・5番ホームまでなので、6番以降のホームに荷物車を連結した列車は止まりません。
09:30発 オホーツク3号
10:03発 おおぞら3号 09:35発 北斗4号
特急列車の3本並びは早朝の函館駅でも見ることができましたが、函館の場合は全部「北斗」。「おおぞら3号」のキハ183は試作車です。
「おおぞら3号」に乗車して十勝へ。その翌日に池北線に乗車しましたが、純粋な乗り鉄で、撮影は駅撮りをチョコッとしたにとどまりました。つーか、車中は寝てばかりでな~んにも記憶に残っていないです。
池田駅には08:16に到着しているので、乗車した池北線の列車は、09:18発の933Dと思われます。3番ホームにそれらしい列車が停まっていますが、こちらのキハ22ではなさそうです。その向かいには別な列車もありました。
ご覧の通り、どこからか到着した後に、この駅で切り離されたようです。左のキハ40が北見行きの933Dで、右のキハ22は09:12発の釧路行き225Dとなったようです。
発車少し前にタブレットが渡されます。結構雨が降っていますが、それよりも1番ホームに停車しているホキが気になります。なんで撮っていないんだろう。
足寄駅のようです。ここではしばし停車で、10:34の発車。
北見からの932Dと行き違いのようです。こちらは10:29の発車。後から到着して先に発車するのは、システム上の都合のようです。
駅の雰囲気から最初は陸別かと思いましたが、この時間帯に陸別で行き違いをする列車はありません。足寄駅の中には、松山千春さん宅への地図が貼り出されていました。今から考えると無茶もいいとこですが、当時はそれでも犯罪めいたことが起きない穏やかな時代だったのかもしれません。
北見到着は12:54、ここから14:23発の「オホーツク2号」に乗り換え札幌へ帰宅します。対向列車は14:25発の「オホーツク3号」です。剥き出しのテルハは、札幌駅のとは規模がだいぶ違い、まるで町工場の天井クレーンのようです。こんな天気の中では、荷物がダダ濡れになるのではないでしょうか。
とまあ、時刻表とちょっとしたメモから当時の行程を振り返りましたが、どうもどの列車でも車中はほぼ寝ていたようで、写真を撮ったことはおろか車窓の様子もさっぱり記憶にないのは自分でも情けない限りです。
昭和59(1984)年5月2、3日