ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

三川へ

山を下りて列車で鹿瀬から三川へ移動します。5万の地図には「白崎」という駅名になっていますが、この2年前に「三川」に改称されたそうです。それにしても「227列車」といい「三川駅」といい、室蘭本線を連想してしまうじゃないか。

f:id:railway-photo:20191125075515j:plain

12:13 鹿瀬駅 快速「あがの」

一見すると急行列車そのもの。この頃、全国的に急行列車は特急列車に格上げ、ないしは快速列車に格下げという2極化が進行中でした。同じ車両での快速化は、利用客にとってはありがたいですね。

 

f:id:railway-photo:20191125075656j:plain

12:29 三川駅 快速「あがの」

平日は通過しますが、土曜・休日には停車します。この日は日曜日。

 

f:id:railway-photo:20191125075827j:plain

三川駅。駅名改称に合わせて改築されたのでしょうか。室蘭本線三川駅に比べるとかなり立派。

 

f:id:railway-photo:20191125081944j:plain

14:44 三川←五十島(いがしま) 1230列車
2代目の阿賀野川御前(ごぜん)橋梁で、この4年前に完成したもの。国道49号線の白崎橋からの撮影ですが、樹木が遮って、橋梁の全景はちょっと無理。

 

f:id:railway-photo:20191125082329j:plain

15:03 三川駅 上り臨時列車

一度、駅に戻っています。トイレタイム?背後の山は、只見線の蒲生岳に似ています。

 

f:id:railway-photo:20191125082549j:plain

16:00 三川→五十島 下り臨時列車

午前中に見かけた列車の折り返しでしょうか。国道49号線の陸橋より。

 

f:id:railway-photo:20191125082656j:plain

f:id:railway-photo:20191125082709j:plain

f:id:railway-photo:20191125082724j:plain

16:09 三川←五十島 1232列車

名残惜しいですが、最後の撮影です。この当時は三川村と云い、村内には白崎駅、五十島駅東下条(ひがしげじょう)駅がありました。そのうち白崎駅が村名を独占するかのように三川駅と改称しましたが、2005年のいわゆる平成の大合併により、鹿瀬町などと共に今は阿賀町(あがまち)となり、三川の地名は消えました。

 

f:id:railway-photo:20191125082833j:plain

16:30 三川駅 231D(会津若松発、新潟行き)

客車列車が多いせいか、気動車の方が新鮮に見えたりします。この列車に乗車したようですが、ここから先の記憶は全くありません。

 

f:id:railway-photo:20191125083157j:plain

新津駅 オリエントサルーン

登場して半年ほどとなる12系改造の和式車両です。欧風列車の「サロンエクスプレス東京」とは似て非なるジョイフルトレイン

一瞬でこれを撮影して、再び231Dに乗車し、終点の新潟へ向かったようです。さて、鹿瀬でスッ転んで、たっぷりもらったお尻の泥は一体どう始末したのでしょうか。何もメモは残っていません。鹿瀬から東横線の元住吉まで、ジャケットで隠しっぱなしだったのでしょうか。記憶に残らないほどに恥ずかしい思いをしたのかもしれません(笑)。

 

昭和62(1987)年6月21日