ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

金沢へ

目的地は金沢ではないけれども、寝台特急「北陸」に乗車して金沢へ向かいました。

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21:14到着 上野駅 ひたち48号

 

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L特急「ひたち48号」・急行「八甲田」

485系EF65。北へ向かう列車の代表格。ホームでの喧噪に包まれると、北志向の気分はいやがうえにも高まります。

 

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「北陸」入線

乗車する「北陸」が尾久からやってきました。お馴染、推進運転での入線です。貫通扉に立つのは機関車乗務とは別の運転士で、非常時には足元にあるブレーキ装置を扱います。

 

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牽引機 EF64 1052

山岳用の機関車、EF64-1000。それまでのEF58やEF15、EF16を置き換えました。EF58やEF15は急勾配用の機関車ではないので、EF16の助けを借りていました。EF62が碓氷峠のチョー急勾配に対応した機関車なのに対して、EF64は一般的な急勾配に対応した機関車となります。またEF62が蒸気暖房を搭載していたのに対して、旅客用のEF64は電気暖房でした。EF64の0番代と1000番代とでは基本性能はほぼ等しいものの、0番代からの大幅な設計変更は別形式としてもいいほどだったようですが、組合の反発がやかましいことから別番代扱いとされ、これはED76形式500番代も同様。

 

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オハネ14 100

翌年10月に、B寝台1人用個室「ソロ」に改造されてスハネ14 759に改形式・改番され、引き続き「北陸」で運用されます。

形式の前に表示された白丸は「Gマーク」と呼ばれ、横軽対策を施した車両の証です。碓氷峠のチョー急勾配に対応する改造が施されています。なぜ「G」と呼ぶのかはいまだに分かりません。

 

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最後尾

 

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02:15頃 長岡駅

時刻表を見ると運転停車になっているのに、なぜかホームに降りている自分。もしかすると車掌さんに頼んだ?全然記憶にありません。

 

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DD15 46

向こうのホームには冬の鉄路の守護神、DD15が停車中。

 

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長岡からは進行方向が変わり、また機関車がEF64からEF81にバトンタッチされます。北陸本線の交流区間もこれでバッチリ。

 

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06:34 金沢駅

定刻、雪の金沢駅に到着。機関車は切り離され機回しを行います。それから金沢運転所へ回送されることになります。

 

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06:40頃 「北陸」の牽引機が機回しを行っている途中、「日本海4号」が到着しました。すでに金沢駅では普通列車に加え「北越」「加越」「雷鳥」などの特急列車も稼働しており、朝の活気に包まれています。そんな中、私は七尾行きの普通列車に乗車するのでありました。

 

昭和63(1988)年2月10~11日