ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

花輪線へ向けて

只見線磐越西線の撮影から一週間後、今度は花輪線へ行くことにしました。未踏の地です。かつては8620形式が3台運転で貨物列車を牽引し、SLファンを大いに魅了したものです。しかしすでに貨物列車も無く、鄙びた、いちローカル線となっておりました。

いつも通り、旅の始まりは上野駅です。

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21:01発 上野駅 能登

勾配用のEF62が牽引します。途中、碓氷峠ではEF63が助太刀致す。金沢行きの夜行急行列車で、これがJR化後、489系電車に代わることになろうとは誰が予想したでしょう。

 

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21:18発 ひたち46号(回送列車)・八甲田

東北本線経由で青森行きの急行「八甲田」。オハフ14 39に乗車して盛岡まで乗車します。すでに旧客は消え、夜行急行列車には14系が進出し、快適な夜を提供していました。

 

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06:10発 盛岡駅 527列車

盛岡で急行「八甲田」を下車。未明の05:45ながら駅は活気づいており、八戸行きの527列車が発車待ちをしております。客車は12系2000番代です。旧客を置き換えるために、余剰となっていた12系客車が改造の上に充てられたものです。

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機関車の次位がオハフ13 2001。元オハフ13 66。2000番代は東北本線奥羽本線用の普通列車用に改造された車両で、交流電気機関車からサービス電源を供給されるようになっています。

 

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06:13発 825D

田沢湖線赤渕行きです。白帯を巻いているのはラインカラ―のはしりでしょうか。

 

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3073列車 ED75 1015+ED75 1030

東北本線の貨物列車にはED75重連牽引が少なからずありました。電化前には十三本木峠が立ちはだかる御堂~奥中山間で撮影された、蒸機三重連列車の姿に、当時を生で知ることのなかった私の心を今でも熱くします。友人が持っている写真集「雨の奥中山」を見せてもらっては溜息を着いてしまいます。

 

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昭和59(1984)年に登場した三陸鉄道乗り入れ用のアコモ改造車で、北リアス線(久慈~宮古)用が「うみねこ」でキハ58 416、486、1511の3両が、南リアス線(釜石~盛)用が「むろね」でキハ28 336、390の2両がありました。写真は「うみねこ」の車両。「JNR」マークが泣かせます。転換クロスシートは、0系新幹線からの流用品です。

 

盛岡駅のホームで1時間以上も撮影を楽しんでから、いよいよ大館行きの1927Dに乗り込みました。

 

昭和62(1987)年3月6~7日