北陸本線へ撮影に行こうと思いました。何が主目的だったのかは全然覚えちゃいません。旅の始まりはいつも上野駅。
23:58発 急行「妙高」
この車両に乗車したようです。結構、混んでいますよ。でもこんな写真を撮ってるということは、すでに座席を確保したのでしょうね。(←覚えておらんけど。)
100番、キリ番。寝台車は滅多に利用しませんでした。まだ体力があったので。
最後尾。せっかくの14系寝台車も、「急行」表示で格が下がった印象です。まあ当時の北海道では、全ての寝台車は急行運用でしたけど。
1~3号車は寝台車、4~8号車は自由席車の8両編成です。
急行運用はここまでで、ここから終点の直江津までは普通列車になります。急行「大雪」の普通列車運用では「大雪崩れ」という異名がありましたが、「妙高」にはそういう愛称名はなかったんでしょうかね。
碓氷峠を通過する信越方面の列車は、EF62が牽引と相場は決まっていますが、この時、上野駅発車時はEF65でした。どこで機関車を交換したのでしょう。
未明の撮影は、そこはかとなく厳かな気持ちになります。
07:15 終点の直江津に到着。
着雪状態から、いかにも重そうな雪です。EF62はEF64と共に山岳路線用の機関車ですが、EF62はEF63とタッグを組んで、急勾配の碓氷峠を制覇します。
機関車解放。スハフ14。発電機の音が喧しいはず。
はい、お疲れさまでした。
ところで、この「妙高」は翌年3月14日のダイヤ改正で169系されてしまい、更に昭和61(1986)年11月1日、国鉄最後のダイヤ改正では、運転区間を上野~長野間に短縮され、189系化されることになります。
乗り継ぎの列車まで時間があったので、一旦、駅の外に出て、駅を発着する列車をポジフィルムで撮っていました。
というわけで、今回も過去記事を貼り付けておきます。
駅に戻り、移動します。
09:51発 雷鳥14号(新潟発、大阪行き)
富山まで、この車両に乗車した模様。非貫通型300番代のトップです。
富山では普通列車に乗り換え、ひとつお隣の呉羽へ移動。駅近くの踏切でしばし撮影に興じるのでした。
昭和59(1984)年2月1~2日
不調に陥ったHDDから、全てのデータを無事に他のHDDに移し終えました。そして不調HDDを何となくフォーマットしたところ、「CrystalDiskinfo」のしずかちゃんは「正常になりました」とにこやかに語りかけてくれました。う~ん、信じていいのかどうか。4TBの容量なので有効に使いたい気もするし、万が一のことを考えたら失うものは大きいし、「不良」と書いたシールをべったり貼ったHDDを見ながら、嘆息ついてます。