ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

青函トンネル初通過

この年のGW帰省で、初めて青函トンネルを潜りました。開業からまだ1か月半しか経っていなかったので快速「海峡」も大盛況でした。

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15:22 竜飛海底駅通過 海峡9号より

駅名標があったのかどうかは記憶にありません。でも、車内販売があったのは、車内録音に記録されています。普通列車なのに車内販売とは、今更ながら心が躍ります。

 

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16:00頃 木古内←新湯の里信号場

廃線となった松前線の線路がまだ残っています。

新湯の里信号場は、この2年後の7月、知内駅に昇格します。

 

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16:00頃 木古内駅

駅名標も真新しいです。って、これはどこの駅もそうでした。

10分近く遅れての運転で、15:52到着が定時。

 

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16:36 上磯←茂辺地

右側には旧線跡が見えます。江差線の改良工事により、一部線路が移設されていますが、ここは橋梁の架け替えに伴うものです。

↓この記事の時にはまだ線路も橋梁も残っていました。

railway-photo.hatenablog.com

因みにまだ矢不来信号場はありません。

 

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16:43 上磯←茂辺地

日本セメント上磯工場専用線は、ベルトコンベア輸送に切り替えられて、翌年10月に廃止されてしまいます。とうとう一度も訪れることはありませんでした。

 

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16:55頃 五稜郭駅

10分ほど遅延したため「海峡9号」は五稜郭に臨時停車し、札幌行き「北斗13号」への接続を行います。お陰で狭いホームは大混雑。

 

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17:00 日本海4号

日本海4号」はおそらく堂々の13両編成で通過していったと思います。「北斗星」よりも長い編成でしたが、所定は7両編成でした。

「北斗13号」の指定席車が停車する函館寄りの位置では乗客はまばら。私はとーぜん自由席車。座れないのは覚悟の上。

 

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17:05 北斗13号

前3両が自由席車です。1両増結されていますが指定席車です。

この帰省の最大の目的は「C62ニセコ号」の撮影です。とはいえどうせ俯瞰撮影がメインなので、俯瞰に興味のない方々はスルーすると幸せになれるかもしれません。

 

昭和63(1988)年4月30日