前回からの続き。
06:14発 2321列車(高崎行き)か?
8番ホームだとすればです。
05:55着 寝台急行「天の川」(秋田発)
全然、注目していませんでしたが、貴重な20系寝台急行列車でした。先頭には郵便車を連結した堂々の12両編成だったようです。当時のJTB時刻表の編成案内には残念ながら掲載されていませんでした。編成は時刻表編成案内の上越線方面の欄に載っています。お隣のEF65は寝台特急「北星」です。
06:00着 寝台特急「北星」
盛岡と結んでいました。
この年の11月、東北新幹線の本格的営業開始に伴い廃止されてしまいました。
出世列車として名を馳せた急行「津軽」。日本が高度経済成長期に突入した昭和30年代前半、都会での労働力不足を補うために、秋田などの津軽地方に住む中学校の卒業生たちは「金の卵」としてもてはやされ、多くのこどもたちがこの列車で上京し集団就職しました。親元を離れた子供たちの不安と寂しさはいかばかりのものであったか。そして苦労を重ねて成功を収め、沢山のお土産を抱えて帰郷する時にも「津軽」が利用されたことから、いつしか出世列車と呼ばれるようになりました。鉄道が、まさに人生そのものを乗せていた時代です。
06:33発 新幹線リレー1号
東北新幹線の起点駅がまだ大宮だったので、上野~大宮間には「新幹線リレー号」が運転され、新幹線利用客の便宜を図っていました。あくまでも新幹線利用客専用の列車であり、グリーン車は、新幹線グリーン車利用客とシルバー対象者が利用できました。
102号機はスノープラウを装着していません。夏だしね。
185系には、とうとう一度も見ることのなかった157系の面影を偲んでしまいます。
06:22着 寝台特急「あけぼの2号」
ヘッドマークがないだけで、東京口の寝台特急よりも格下に見えてしまいます。
オロネ24 1
1号車、2号車はA寝台車。1号車はトップナンバーでしたので、パチリ。切り抜き文字はなかなかシャッキリ写ってくれません。A寝台車には、自腹を切ってまで一生乗ることはないでしょう。
06:30着 寝台特急「あけぼの4号」
少し早着のようです。
18番線と17番線に「あけぼの2号」と「あけぼの4号」が並びました。同じ寝台列車同士の並びなんて、この先もう二度と見ることはないでしょう。
ここでは若番なのでパチリ。
06:33入線 07:00発 L特急「ひばり1号」
仙台方先頭車はボンネット車。「ひたち」と共通運用だったのかも。電車特急の大きなヘッドサインは「こだま」以来のもので、一部の車両は回転幕に改造されましたが、上野口のボンネット車は全て交換式で、手間はかかりますが見た目は断然いいです。
「ゆうづる」は7往復中(季節臨含む)3往復が客車で、4往復が583系で運転されていました。7往復あっても繁忙期には寝台特急券を取るのには苦労させられ、「パンタ下の中段」などと贅沢など言っていられませんでした。
上野駅では昭和60(1985)年の東北新幹線地下駅開業に向けて、工事真っ盛りです。
新宿西口の「ヨドバシカメラ」の開店まで、まだだいぶ時間があります。
昭和57(1982)年7月10日