夜行列車の到着は、実はダラダラと長時間に渡って続くのですが、それに交錯するかのように早朝から特急・急行列車の発着が賑やかになります。
5:05頃 急行「出羽」
今では考えられない上野発着の夜行気動車急行。酒田発20:05、上野到着は5:02でした。下りは上野発23:04、酒田着8:04。堂々の12両編成で、山形・新庄・酒田とを結んでいました。「出羽」は後にブルートレイン化されました。
キハ28
ブレていて車番は612に見えます。
キロ28 117
1等車として登場した時にはクーラーは非搭載で、窓下にはグリーンではなく青い帯が引かれていました。
キハ58 816
800番代は修学旅行用で、黄5号、朱色3号の修学旅行色をまとっていました。
6:05頃 急行「津軽2号」 EF58 102
奥羽本線経由で青森まで結んでいました。いわゆる「出世列車」と呼ばれ、集団就職で多くの少年少女(「金の卵」と呼ばれた)がこの列車に乗って上京し、数年後、錦の御旗を掲げて帰郷する夢を抱いていた時代がありました。鉄道が人生に大きく関わっていたんですね。「津軽4号」は4時間後に到着します。
「新幹線リレー1号」の回送列車
日本交通公社の時刻表の「東北本線・日光線」や「高崎線・上越線・信越本線」の欄には載ってなくて、「東北新幹線」の欄にだけ掲載されていました。東北新幹線は、1時間に1本程度しか運転されていませんでした。7両+7両の14両編成。
6:00頃 特急「ゆうづる6号」
今から見ると、夢のような時代でした。
「とき」に使用されていた181系は、かつて「あさま」にも使用されていました。しかし横軽では機関車と協調運転できないため8両編成に制限され、当時としては食堂車のない寂しい編成でした。
急行「妙高1号」でしょうか。
モハ168-1
クモハ169-1
幕回し中の一コマで「やまばと」ではありません。
幕回しが終わって、はい「ひばり」。
「はつかり」
6月23日に東北新幹線が大宮発着で暫定開業しましたが、この時点ではまだかなりの数の東北特急が存置されておりました。その分、新幹線の運転本数は微々たるものでした。
15:40頃 不明
18番ホームから発車する客車列車のようです。ちゃんとメモしなかったツケが今頃になって出ています。
それにしても、この頃はまだEF58がバリバリ運用に就いていましたね。特に、上野にやってくるEF58は、庇+スノープラウの姿が勇ましく好感が持てます。
昭和57(1982)年7月10日