ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C60 107

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年3月18日 鹿児島駅

車歴は↓こちら。

C60107 機関車データベース (形式C60) - デゴイチよく走る!

くるくるぱーのないスッキリした煙突。砂撒き管は、なぜか1本だけ露出しています。日立製なので(汽車會社製も)原設計ではボイラーケーシングの中に隠れているはずですが、検査の時にしまい忘れたか?

背の高い清缶剤タンクが機関助士席側の前窓前方にありますが、この機関車はランボードを低い位置に移設してはいません。

ランボード縁に引かれていた白線は、汚れで黒ずんでしまいました。しかしこの半年後には綺麗な白線が甦っています。

C60の場合、「架線注意」札は、前照灯の直下に貼られるケースが多いのですが、この機関車はナンバープレートの上方にある少数派です。

0番代39輌、100番代8輌の総数47輌のC60ですが、当初の計画では151輌もの投入を想定し、老朽化したC51の置き換えも考えていたようです。軸重は問題ないとしても、受け入れる機関区側としては不必要に大型な機関車の運用には難色を示し、47輌にとどまったのだとか。C51ファンとしては安心したことでしょうね。大型機関車は、幹線系での優等列車・長大列車の運用に特化したような造りであるため、なかなか潰しが利かないようです。

C59 127は、動力近代化へ向けての過渡的な処置として重油専燃機に改造され、石炭炊きより20%も上回る高出力を実現しましたが、結局はこの1輌だけの試作に留まり、普及することはありませんでした。石炭炊きの労力や、煙害の苦しみから解放されるのにね。まさか爆煙命のファンにより、開発が妨害されたわけではないでしょうね。