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昭和60(1985)年2月9日
日本一の赤字線と云われた美幸線。その汚名を逆に利用して、当時の長谷部美深町長は東京や大阪でここ仁宇布駅の入場券などを売りまくり、当時は話題になりました。そうした涙ぐましい努力も虚しく、この撮影した年の9月に廃止されました。
日本一の赤字線と云っても、それは「赤字係数」が最大値であるというだけのことで、巨額の「赤字額」を出していたという意味で日本一の赤字線は東海道本線でした。資料がすぐには出て来ませんが、確か美幸線を含む廃止された北海道の赤字ローカル線が生み出した赤字額の総額よりも東海道本線1路線の赤字額の方が大きかった筈です。軽く1000億円を超えていたと思います。それと赤字係数というのは「赤字ローカル線」の売上を全然正確には表しておらず、たとえば美深駅で購入した仁宇布行きの乗車券の売り上げは美幸線ではなく宗谷本線の売上に形状されていました。とはいえ、当時の北海道新聞にも「空気を運んでいる」などと揶揄されるほど利用客は少なかったわけですから、赤字係数の定義に文句を言っても虚しくなるばかりです。レールバスの導入すら検討に上らない程、悲惨な乗車率であったことに間違いはありません。いわゆる輸送密度が激ヤバ状態。
もともと美幸線に沿った線形で、美深町営仁宇布線という簡易軌道がかつて存在しており、美幸線の開業を前に廃止されました。
更に美幸線は仁宇布から先、興浜北線の北見枝幸まで結ぶ予定でした。そのため、路線が重複する歌登町営軌道までもが廃止させられてしまったのですが、その代替となる筈だった美幸線は延伸開業されることなく建設途上で廃止されたのですから、歌登町としては堪ったものではなかったでしょう。国に騙されたと。
そんな悲惨な運命を、周辺地域と共に辿った美幸線ではありますが、現在は「トロッコ王国」なる観光鉄道として、軌道自転車で沿線を走ることができるのは、実に楽しいことではあります。まあ、六角精児さんみたいに、雨の日に乗車するとズブ濡れになるかもしれませんけど。