ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 654

田中泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年3月26日 亀山駅・亀山機関区

 

昭和43(1968)年10月3日 豊岡駅

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51654

加太越えへの重装備車です。ドーム前方の大きめの手摺が目を引きます。除煙板はオリジナルのままで、バイパス弁点検口がありません。何か新鮮。

後部標識灯の設置位置が1年半の時を経て変わっていますね。

機関士側のキャブ前窓は張り出し傾斜形。洒落ています。画像では煤けているのかはっきりしませんが、上方には斜めになった長円の明かり窓があります。「蒸気機関車の角度」に収録されている934号機にははっきりと写っています。

空気作用管はランボード付近を這わせています。深い理由でもあるのでしょうか。

砂撒き管吐出口ですが、長野工場担当機のような勾配区間を走る機関車では第2、3、4の各動輪の前側に設置していますが、この機関車は第4動輪にはなく、第3動輪の前後に据えた一般的な配置です。

炭水車に増炭枠がないのは、重油併燃をガッツリ行い、石炭の消費量が少なめだったからでしょうか。

ランボードの白線ですが、何か特別な運用でもあったのでしょうか。