ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

小沢で岩内線とか

dd51 1135様の画像につき、転載はご遠慮ください。

f:id:railway-photo:20220124203634j:plain

上は函館本線 銀山←小沢、下が岩内線

 

f:id:railway-photo:20220124203651j:plain

岩内線 国富←小沢

 

f:id:railway-photo:20220124203717j:plain

f:id:railway-photo:20220124203736j:plain

函館本線の線路際から 小沢→国富

 

f:id:railway-photo:20220124203759j:plain

下り特急「北海」

 

f:id:railway-photo:20220124203453j:plain

f:id:railway-photo:20220124203817j:plain

岩内線 小沢←国富

 

f:id:railway-photo:20220124203516j:plain

函館本線 銀山←小沢

 

f:id:railway-photo:20220124203531j:plain

函館本線 銀山→小沢

 

f:id:railway-photo:20220124203545j:plain

f:id:railway-photo:20220124203557j:plain

小沢駅

昭和60(1985)年4月17日

岩内線があったこの時には、キハ40による普通列車の他に客車列車(夜行鈍行も含む)や特急「北海」に急行「ニセコ」も走っていました。岩内線はこの2か月半後に廃止されますが、山線の方はまだ何とか幹線としての貫禄を見せていました。しかしこの1年半後には優等列車は姿を消すことになります。貨物列車もすでになく、JR北海道が発足した時点で、山線は気動車普通列車だけが走るローカル線に落ちぶれてしまいます。

 

JR貨物は、有珠山噴火時の代替ルートとして山線を活用せず、トラック輸送で対応するそうです。DF200の走行が困難であり、様々な手続きが面倒臭いからなのだとか(笑)。JR北海道は新幹線で対応するので第三セクター化された山線での迂回運転など必要ないでしょうし、そうなると山線の存続価値はほとんど無いに等しいことになります。う~ん、厳しい。