ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D50 201

田中 泰三様、藤田 慶二様、SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和42(1967)年3月27日 米原機関区

 

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昭和43(1968)年2月6日 米原機関区

車歴は↓こちら。

D50201 機関車データベース (形式D50) - デゴイチよく走る!

米原入りが遅く、休車期間もあったため、米原~田村間での実働時間は3年程度だったろうと思います。休車であっても北海道のカマよりはずっと綺麗。

除煙板には吊り上げ用のシャックル孔がない代わりに、円環が取り付けられています。孔を開けた方が簡単だと思うのですがね。

先輪はディスク輪心に交換されています。D50の先輪には新設計の「リンク式」という構造が採用されましたが、脱線しやすいとか第一動輪のフランジが偏摩耗しやすいなどといった問題が発生したことから、一部の機関車では「コロ式」に変更されました。両者の構造や機能に関しての知識は全くありませんが、外観で見分けられるそうです。

リンク式:車輪径は940mm、スポークの本数9本、排障器は左右一体型

コロ式:車輪径は860mm、スポークの本数8本、排障器は左右独立型

などと物の本には書いてあるものの、実際、写真を見ても暗くて排障器のディテールはよく分かりませんし、輪心はディスクに交換されているものが多いしで、簡単には見分けがつきません。201号機で確認できるコの字型の排障器はよく見られるタイプであり、オリジナルのリンク式かもしれませんが、どれだけの輌数がコロ式となったのかもさっぱり分かりません。

キャブ側窓はオリジナルの2枚窓で、後方の開閉窓にのみ庇が付いています。同じ2枚窓ながら北海道の143号機、187号機などとは異なっています。