ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 138

田中 泰三様と江別の鐵様の画像につき、転載はご遠慮ください。

撮影日不詳 美々~千歳

上り千歳線の築堤から撮影した下り貨物列車でしょう。石勝線がそれをアンダークロスしている辺りかと。背景は千歳空港の南側で、並行する道路は国道36号線ですね。江別の鐵少年は、千歳駅から歩いてやってきたのでしょうか。車掌車、冷蔵車、無蓋車、有蓋車・・・今となっては実に楽しい編成です。

現在、石勝線は南千歳駅から分かれていますが、将来的には新千歳空港駅を行き止まりではなく南側の地上へ貫通させて、現在の千歳線へと結び、そこから石勝線を分岐させるようです。空港から函館方面や釧路方面へと向かう乗客が、南千歳駅で乗り換える手間から解放するためだそうですが、石勝線の貨物列車は地下線を通る必要はありませんので、現在の線路をそのまま残すのか、それとも廃止にして地下線をDF200が突っ走るのか・・・。

 

昭和47(1972)年6月14日 苗穂駅

苗穂駅を背景に停車中の138号機。機関区から撮影したものです。典型的な北海道仕様に見えますが、ドーム前に扇形の手摺がありません。

モーションプレートの先端部くり貫きが、ナス形1個ではなく円形2個になっています。設計変更というわけでもなく、これ以降の機号では二つのタイプが混在しています。ロット毎という説もありますが、調査は面倒なのでしないでおきます。

銘板は「日」と「車」とを組み合わせたロゴが、楕円形の中央に大きく配置されたものに見えます。もしかすると非常に珍しいタイプとか。

日本車輛が初めてD51製造を手掛けた134号機からは、それまでの動力式逆転機から手動のネジ式に設計変更されました。動力式は動作反応が鈍く、山岳路線などでの空転防止を回避し辛いのだとか。133号機までのほとんどがネジ式に変えられています。それならば、北海道のC62は山線を走るのに動力式のままだったのはどういうわけなのでしょうね。などと書きながらもちょっと調べると、引き出しの時の問題だそうです。重量のある貨物列車が上り勾配で駅を発車する場合、その引き出しにはちょっとしたコツがあるのですが(説明できないので割愛)、それが動力式では反応が鈍くて空転を起こしてしまうのだとか。C62は貨物列車に比べると軽い客車列車ばかりを牽いていたので、そういう問題はなかったのでしょう。(余談ですが、C53でさえ貨物列車を牽いていたようです。)

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51138