ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 302

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年3月26日 亀山機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51302

鷹取式集煙装置装備。加太越えに奮闘したことでしょう。ネコパブリッシング刊「「SL甲組」の肖像 4」には、加太越えの苦労話が紹介されており、中でも加太トンネルは断面が非常に小さく、集煙装置はほとんど役立たず、頼みのトンネルのカーテンも効果が薄く、結局は濡れタオルを使って煤煙からの窒息を免れていたと言いますから、その命懸けの運転には鳥肌が立ちます。後部補機に至っては2台分の煙を被るのですから、まさに壮絶な闘いです。

反射板付き後部標識灯は、すでにこの時代にあっては珍しかったかも。

除煙板に点検口はなく、それが新鮮に見えちゃいます。

エプロンは幾分小振り。

それにしても車庫はもうボロボロで側板は破れ放題、あちらこちらで剥がれ落ちて風通しが非常に良くなっています。羅生門ですか。明治の関西鉄道時代に建造されたものなのでしょうかね。