ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 246

matuno kuraが撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年10月18日 盛岡機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51246

敦賀区時代に、集煙装置装備の先陣を切った6輌のうちの1輌だとか。敦賀式集煙装置は2畳ほどの大きさで、重厚な形状が特徴でした。これを元に、各工場で様々なタイプの集煙装置が考案され、その路線を印象づけるアイテムになりました。集煙装置装備に伴い、煙突が短くなっているように見えなくもありません。

スノープラウは184号機と同様の構造で、この装備により公式側フロントサイドのステップが梯子状のものに交換されています。(非公式側のものは撤去。)

蒸気で分かり辛いですが、炭水車には3000リッターの重油タンクを載せています。奥中山での死闘には欠かせない装備だったのでしょうね。

それにしても盛岡では10月半ばに雪って降るものなのでしょうか。すっげー寒そうだし、ちょっぴり日付を疑ってしまいます。