ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 188

matuno kuraが撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。

昭和45(1970)年1月8日 新鶴見機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51188

「いやよ」の次は「いやや」です。(笑)

かつて広大な新鶴見操車場の一画に居を構えていた新鶴見機関区。この当時は貨物輸送用と操車場の入換用にと蒸機、電機、DLが合わせて140輌以上が配置されていました。この頃のD51は、横浜の高島までの輸送にあたっていたようです。

煙室扉の十字ハンドルは大宮工場担当の証と云えるかも。実際、この機関車は大宮工場製の第2号機だし。

前端梁の後部標識灯、エプロン無し、ボイラーとランボードの接触部のカバーが残されるなど、割と原型を保っているように見えます。

それにしても、それまで大型蒸機を製造した経験のない工場が、いきなりD51を作れと云われ、現場は大変な苦労を強いられたことでしょう。