ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 547

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和47(1972)年5月22日 新津機関区

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51547

546号機とともに、全国操配により異動したものと思われます。

担いバネ前面カバーのボルトが抜かれています。点検中なのでしょうか。

除煙板上部ステーの煙室前端への取付方法が標準ではありません。なぜこんな面倒臭そうな固定方法を?

前端梁の左右2個ずつのボルト孔穿孔と旋回窓の取り付けは、坂町区へ異動してからの措置でしょうか。キャブ側面の画像では、屋根が延長されているのが確認できます。他のサイトの画像を見ると、延長屋根の構造は何ともやっつけ仕事のように見えます。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~makoto_w/SL/uetud51/d510547.htm

炭水車上の重油タンクは残念ながら角度的に画像では確認できません。でも載っているのは間違いありません。

垂直状の排障器が撤去されています。

正面ナンバープレート横の支持金具ですが、灯具掛けにしては位置的に不自然な気がするので、道具袋を引っ掛けるものでしょうかね。

キャブ側面では小倉工場の製造銘板が外されています。盗難防止でしょうか。盗難といえば、先日、テレビでは「オホーツク」「大雪」で運用されているキハ183系から号車札などのサボが盗まれていると報道していました。また発見を遅らせるためか、偽物とすり替えているケースもあったんだとか。サボの盗難は今に始まったことではありませんが、何ともやりきれないです。ニュースでは「盗り鉄」と称していました。国鉄時代にもサボの盗難が相次いでおりましたが、私が乗車した夜行鈍行の「からまつ」の寝台車には。段ボール紙に「からまつ」と手書きしたものが差さっておりました。一応、国鉄製でした(笑)。

 

で、熊本区時代の547号機がこれ。

昭和45(1970)年9月1日 熊本駅

排障器がちゃんとあります。旋回窓はありません。