田中 泰三様の画像につき、転載はご遠慮ください。
昭和47(1972)年5月23日 酒田機関区
車歴は↓こちら。
http://d51498.com/db/D51/D51546
長い間、九州で奉公し、最後の2年間だけ遠い異郷の地で使命を果たしました。この転配は、検査までの期限の残り少ない機関車を廃車とし、期限の残っている機関車でそれを置き換えるということを全国規模で実施した、いわゆる全国操配によるものだったのでしょう。思えば、苗穂機関区でも、C57 6、147といった見慣れぬナンバーを見かけましたし、宗谷本線のC55をC57 87、130に置き換えてC55ファンをガッカリさせたということもありました。中でも、急行「ニセコ」用にC62 15、16号機が呉からやってきたことに驚かされたファンも多かったでしょう。隣の1133号機が酒田区生え抜きの機関車だったのとは対照的です。
画像の546号機は顔しか見えず、車庫の中は暗くてディテールがさっぱり分かりません。おそらく重油併燃装置を取り付けて、炭水車には重油タンクを載せたのでしょうね。