ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

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田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年3月25日 恵那駅

集煙装置を載せる前の姿で、代わりに回転火の粉止めのお皿を載せています。

スノープラウが偏平気味なので、雪を掻き分けるには抵抗がありそう、なんて心配になります。

キャブ前窓には網を張っています。どんな効能があるのでしょう。雪対策なら、かえって網に雪が絡んで完全に視界を遮ってしまいそうだし、日除けにはあまり意味はなさそうだし、防虫には無防備だし、バカ停の時に取り外して餅を焼くのに使うわけはないし。トンネル内でのツララ対策でしょうかね。

炭水車に増炭枠はまだありません。

 

昭和46(1971)年6月26日 中津川機関区

LP405以外、これといって特徴は見当たりません。SG用のホースがありません。この頃にはもう客車牽引はなかったのでしょうか。

隣にはEF64-0代が並んでいます。

 

 

昭和48(1973)年4月14日 落合川橋梁(落合川~坂下)

長工式集煙装置を載せての重連運用です。有名撮影地。左には下り線の橋梁が少し離れて架かっています。因みに中央西線は、塩尻から名古屋へ向かうのが上り。中央東線塩尻から新宿へ向かうのが上り。中央本線と一口に言っても、東線と西線は別物ということになります。


昭和48(1973)年7月9日 中津川機関区

車歴表によれば、木曽福島~中津川間で運転された「SLお別れ列車」とのこと。電化に伴う蒸機全廃です。前位は827号機とのことです。右側には大勢のファンがカメラを構えていたのでトリミングしました。トリミングから逃れた人が一人だけ写っていますが、立ち位置と姿格好から察するに国鉄職員のようです。

昭和45(1970)年2月22日に運転された、篠ノ井線の「SLさよなら列車」牽引に続く抜擢です。(この時の相方は824号機。)

炭水車背面にはSG用ホースがぶら下がっています。夏ですけど。

現在は長野市で、集煙装置こそありませんが、比較的良好な状態で保存されているそうです。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51549