田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。
D51形式は632号機から635号機まで(他に621号機も)、製造からわずか2~3年で陸軍へ供出され、中国の海南島へ輸送されたため、写真などの記録はほとんど残っていないようです。
昭和42(1967)年3月25日 中津川機関区
前回の630号機と同じ日に撮影されたもので、構図も同じです。
ナンバープレート下のナットは、日章旗などを掲げる際に使用したものでしょうか。と云っても、車歴表には636号機が華やかな列車を牽引したという記録は載ってません。
孔だらけの前端梁、幾つものスノープラウを装着した跡でしょうか。このスノープラウは上下方向に高さを調整できる構造になっています。
長工式の集煙装置を装着しているかもしれませんが、この画像では暗くて断定できません。
連結器が白く輝いているのは、単に陽が当たっているからでしょうか。
昭和44(1969)年2月21日 稲沢第一機関区
除煙板の内側補強の一部にアングルが使われています。
先台車の軸箱に機番が記されています。
画像ではちょびっとしか写っていませんが、ドーム後方には重油タンクを背負っています。実際に重油併燃をしていたのかは分かりませんが。
国鉄のD51は昭和20年まで製造されましたが、陸軍に供出された5輌は全機出揃う前に海南島へ持っていかれたため、1115輌全機が国内に出揃うことはありませんでした。
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