田中 泰三様とSAMPUKU爺様と江別の鐵様の画像の転載はご遠慮下さい。
昭和43(1968)年12月25日 苫小牧機関区
蒸機全廃7年前、滝川機関区時代の姿で、除煙板は切り詰め前。清缶剤送入装置も搭載されたままです。
原ノ町機関区から釧路機関区へ転属された僅か2か月少し後にはもう追分機関区へ異動。しかしそこも3カ月少しで滝川機関区へ移るという慌ただしさ。
昭和47(1972)年6月18日 追分機関区
北海道機の姿にまとまりましたが、キャブは非密閉。
昭和50(1975)年7月13日 滝川機関区
後部標識灯の高さが左右で異なるようになりました。夏でもスノープラウ装着。この姿で最終運用まで務めます。
昭和50(1975)年11月8日 追分駅
清缶剤送入装置は撤去済です。
奥に追分駅が見えます。炭水車の半分陰になっているのは信号扱所でしょうか。
昭和50(1975)年12月24日 南清水沢→沼ノ沢 5782列車
運命の日。蒸機牽引営業列車の最終日です。241、465、603、1086号機の4輌が最終日の運用にあたりました。1086号機は未明にDD51を前位につけて6793列車を牽引、その折り返しが画像の5782列車です。どの列車も惜別のヘッドマークを掲出することもなく、いつも通りにその日の運用を終えました。
そしてこれまた運命の昭和51(1976)年4月13日、追分機関庫火災により保存先が決まっていた4輌とも被災してしまいます。それでも241号機、465号機、603号機は部分的に保存されており、1086号機もまた動輪が保存されましたが、長万部町が第二動輪、七飯町も第二動輪、横浜市も第二動輪、岩見沢市が第四動輪と何やら奇妙なことになっておるようです。
昭和51(1976)年9月13日 追分機関区
車歴は↓こちら。