田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像の転載はご遠慮ください。
昭和42(1967)年8月6日 苗穂機関区
補助灯設置前、除煙板切り詰め前の貴重な姿。ランボードに載る大きな箱は清缶剤送入装置でしょうか。随分と前方に置いたものです。
後部標識灯は高い位置にありますが、北海道機の特徴と云われています。大雪になるとフロントデッキにはこんもり積もったりしますからね。
昭和47(1972)年4月9日 苗穂機関区
清缶剤送入装置らしきものが撤去され、ランボード上はスッキリ。
フロントの後部標識灯の位置が変わっています。それでも、幾分、高い位置であることに変わりありません。
キャブ前窓の防護網は、窓から結構離れた位置にあるんですね。
砂撒き管は第二から第四動輪まで配置されています。第四には配置せずに第三主動輪の前後に配置するケースも多いです。
一般のD51では助士席側のキャブ下には、縦長の部材(江別の鐵様によると、二子三方コックというものを支持しているらしい)がありますが、596号機をはじめ、北海道機にはないものが多いです。
昭和47(1972)年6月18日 鷲別機関区
「日立」の製造銘板。やはりあるといいですね。「鷲」の区名札は、九州の砲金製に比べると実に安っぽく見えます。まあ、手書き文字に味があると云えばありますけどね。
北海道からDD51が消える少し前、JR貨物輪西工場の公開イベントでは、本物やレプリカの区名札を販売してましたっけ。
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