田中 泰三様と河村義朗様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。
昭和42(1967)年3月27日 稲沢第一機関区
雨上がりでしょうか。いささか寒々とした雰囲気を感じます。もしかするとカマに火は入っていないのでしょうか。外観はこれといった特徴が見当たりません。ただ、前端梁の向かって左側だけに見られる二つのボルト孔が気になります。
昭和43(1968)年6月10日 稲沢第一機関区
キャブ側面の銘板や札差の配置が見慣れたものとは異なります。重量換算標の上にある三つのボルト孔は、タブレットキャッチャーのものでしょうか。ナンバープレートがピッカピカです。この頃、北陸本線の米原~田村間の交直ジャンクションで客車を牽引している姿がネット上にアップされています。老朽化して廃車や休車になったD50に代わって運用されたものだと思います。大抵は長野運転所のD51が重装備のまま米原区へ異動して、短期間ながら運用に就いていたんですけどね。
車歴は↓こちら。