SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮下さい。
重油タンクを載せていたようですが、画像からは判断できません。東北地方を転々とし、最後は全国操配により津軽海峡を渡り北海道は鷲別機関区へ。そこで1年ほど過ごして生涯を終えました。その1年間の北海道での運用ですが、越冬することを考慮してか、除煙板の切り詰めや耐寒耐雪改造はしっかり行われたようです。ただし、密閉キャブ化は未施工。他のブログに掲載された昭和48(1973)年8月頃の画像を見ると、前端梁にスノープラウのボルト孔が設けられています。また、煙室前端下部にはエプロンが新たに設置されました。北海道機はやはりエプロンの存在が大きいです。東北機によく見られるように、補助灯の位置が高目ですが、北海道では北海道仕様の低めに設置し直されています。なんでかは分かりませんが。
除煙板上部ステーに設置された「架線注意」札は、北海道に来てもそのままだったようです。
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