ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 720

田中 泰三様と’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮下さい。

昭和41(1966)年6月30日 広島機関区

おお、C62との重連だ!と思ってよくよく見ると、720号機はロッドが外されております。車歴表によれば、この頃は長野機関区の配置ということになっていますが(画像の720号機は完全に長野機スタイル)、C62がいるのであればここは長野区ではないですね。広島機関区で正しいように思われますが、ならば撮影年月日が間違っているのでしょうか。もはや検証のしようがありません。

 

昭和50(1975)年1月15日 米子機関区?

612号機とともに、1月12日に長門市~下関間で「さよならSL列車」を牽引しましたが、それがどうして米子機関区に居るのか、謎です。おそらくデータミスで、撮影場所は米子区ではなく、長門機関区だったのでしょう。

 

昭和50(1975)年1月16日 長門機関区

で、長門機関区です。カラー写真の翌日になりますが、火は落とされています。機関庫の窓の形がカラー写真と同じように見えます。(612号機の記事で使用した画像と同じものです。)

炭水車背面を612号機と見比べてみると、幾つか違いが確認できます。

前照灯の高さ・後部標識灯の取付方法・SG用連結ホースの有無・左側ステップ支持板の屈曲の有無・灯具用配線の引き回し形状・排障器の構造など。

今回の画像は撮影データに疑惑があるものでしたが、それだけに今更ながら日頃の撮影ではメモの重要性を痛感します。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51720