ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 674

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮下さい。

昭和41(1966)年9月21日 岡山機関区

鳥取区に異動しても奈良区時代の加太越え装備を継承しています。

キャブ前窓の庇は長めです。

昭和30年代の写真を見ると、前照灯にシールドビームを装備していた時期もあったようです。

画像では分かりませんが、スノープラウの構造に特徴があり、中央部に細工を施した開閉式となっています。目的は分かりませんが、後年、ボルトや溶接で固定されたものもあったようですから、当初の目的は達成できなかったのかもしれません。

 

昭和43(1968)年9月20日 鳥取機関区

 

もともと小振りだったエプロンが更にちっちゃくなっちゃいました。

フロントサイドステップは、両側で高さが異なっています。なんでか、向かって左側のが高い位置にあります。

昭和47(1972)年8月26日 米子機関区

この翌日、山陰本線で四重連運転が実施され、そのしんがりを務めました(D51 1+C56 108+C57 101+D51)。その際、ランボードの縁、キャブの裾、炭水車の台枠には白ペンキが塗られました。

https://railway-photo.hatenablog.com/entry/2021/11/20/081349

定期列車を使っての四重連運転出雲市~米子間で実施され、出雲市→米子間では620号機が、米子市出雲市間では674号機が4位の位置で牽引にあたりました。(浜田~出雲市間は、D51を除く三重連運転。)

余談ですが8月27日には小樽~岩見沢間で、最後のC62重連列車が運転されました。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51674