ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 769

田中 泰三様とSAMPUKU爺様と”撮り人不明”様の画像につき、転載はご遠慮下さい。

昭和43(1968)年7月17日 木曽福島機関区

除煙板は上部の折れ線がカッチリしている印象で、点検口の角もカッチリ。上部ステーの形状は独特のもの。ドーム前の大型手摺は長野工場特製で、キャブ内換気装置もまた長野工場担当機であることの証でしょう。

車歴表ではこの時期、すでに集煙装置を取り付けていることになっていますが、実際には未搭載で、この後に取り付けるのでしょう。

安全弁の後方には、二つのタービン発電機の消音器が2本立っており、まるで安全弁が4本あるかのように見えます。

 

昭和44(1969)年8月3日 木曽福島機関区

前部標識灯LP405の位置は低め。これも長野工場担当機の特徴かな。

 

昭和46(1971)年4月25日 上松~倉本

集煙装置を載せて、晴れて中央西線の標準機となりました。同じ長野工場担当機であっても、長野運転所のD51は前端梁に白V字を入れてましたが、木曽福島区のD51には入れていないようです。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51769

引退後は長野東筑摩郡麻績村(おみ・むら)という山深い里に保存され、一時期はかなり荒れた状態になっていたようですが、平成26(2014)年8月には車体がピッカピカに整備され、更に平成28(2016)年には上屋を設置し、今では良好な状態となっているようです。これも車歴表とは食い違っています。

↓修復完了の記事

https://blog.goo.ne.jp/takano_omi/e/7d701588b014daf1f60a35654e1e7e80

珍しく集煙装置を搭載した姿での保存です。