田中泰三様と江別の鐵様と”撮り人不明”様の画像の転載はご遠慮下さい。
昭和43(1968)年4月29日 御堂~奥中山
三重連・重連列車が行き交うことで有名だった名撮影地。この年の10月に実施される電化開業へ向けて、すでに線路には架線が張られています。前照灯から離れた位置にある補助灯は東北機らしいけれども、ちょっとバランス悪く感じます。
貨車の屋根越しに白い煙が見えるのは、後部補機のものでしょうか。三重連ではありませんが、三台運転ということかな。
昭和45(1970)年8月16日 小波渡付近
新津区かその後の酒田区へ異動して補助灯は撤去されたようです。羽越本線を往きます。この当時は必要な運用の時だけしか後部標識灯を装着しなかったのでしょうか。
前照灯の点灯は絵を引き締めますね。
昭和48(1973)年11月27日 苫小牧機関区
晩年は北海道で余生を送ります。密閉キャブ化以外は北海道仕様に改造されています。
両端が煙室から張り出していたエプロンですが、向かって左側の張り出しが小さくなりました。
それにしても前端梁は孔ボコだらけ。そのうち、四個だけスノープラウ固定用に活用しています。
除煙板点検口の左右・下辺の縁取りはスリット状になっており、旅客車のサボのように点検口蓋を落とし込むようになっていたようです。実際に使用されたのかは定かではありません。
「架線注意」札が3枚に増えました。
昭和49(1974)年12月19日 追分機関区
昭和49(1974)年12月27日 紅葉山→十三里
夕張線の紅葉山駅(現 新夕張駅)を発車する上り列車。迫力ある発車シーンを撮るため、構内はいつも蒸機ファンで賑わっていました。右端に写る跨線橋は、夜中には就寝するファンで賑わっていたとか。
昭和50(1975)年3月16日 遠浅→沼ノ端
満載の石炭を室蘭港へと輸送します。機関助士側の旋回窓は、新津区か酒田区で取り付けられたものでしょうか。
昭和50(1975)年8月 白老駅
新製のDD51は輸送されているのか、それとも慣熟運転なのか。この頃にはちょくちょく見られた光景です。新旧の交代が急速に進んでいることを思い知らされるワンシーンでもありました。
車歴は↓こちら。