田中 泰三様と”撮り人不明”様の画像につき、転載はご遠慮下さい。
昭和43(1968)年10月 浜田機関区
この当時、炭水車背面の前照灯は、後部標識灯とともに取り外し式だったのでしょうか。
昭和44(1969)年10月17日 岡山機関区
伯備線で活躍していた頃の勇姿。除煙板がちょっと珍妙で、縁取り無し、上部の折れ無し、溶接跡剥き出し、二つの吊り穴の径が異なっている、角にアール無し、など。また上部ステーはフラットバーを加工したもの。昭和23(1948)年の衝突事故と関係があるのでしょうか。
この当時のエプロンには両端にリブが付いています。
前照灯の下の突起は石油燈掛け。電気灯が使えなかった時の非常用だったのでしょうか。
エプロンがリブ無しで小型のものになりました。
また除煙板は、非公式側のものだけが一般的なものに交換されています。
昭和47(1972)年8月26日 米子機関区
晩年は全国操配による異動だったのか、奈良運転所に配置され、関西本線などで7カ月間お務めした後に廃車となっています。
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