田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。
昭和43(1968)年3月17日 鳥栖機関区
エプロンの形状がユニーク。
除煙板は後端だけがリブで補強されています。非公式側の前端手摺は内側のものがちょっとアレで、ひん曲がっていますね。
担いバネカバーの点検蓋は幾分幅が狭いです。
排障器は垂直材のものだけとなっています。
全国操配によるものだったのか、東北へ異動すると短期間の運用と承知されながらも色々と手が加えられました。
補助灯設置、煙室戸ハンドルが十字タイプから標準のものへ交換され、前端梁にスノープラウの取付ボルト孔が穿孔され、それに伴い、使うかどうか分からない灯具掛けが移設されています。
製造銘板と換算票板が撤去されており寂しい。
昭和47(1972)年5月23日 酒田駅、酒田機関区
3000リッターの重油タンクの存在感が大きいです。漏水管は左側に設置されています。
背面のステップは酒田区ならではの上部手摺と一体化した梯子状に改造されています。
埋め込み式だった後部標識灯は撤去され、その設置跡から電線を取り込んでいます。
除煙板後端のリブがそれとなく確認できます。
キャブ屋根は延長されていません。そのキャブをよく見ると、後端が下がっています。こういう状態を「尻餅をつく」というのだそうですが、落成時からそうだったのか、それとも運用しているうちに部材が歪んでそうなってしまったのか。この程度なら、乗務員には大した問題ではなかったのでしょうか。
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