田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像の転載はご遠慮ください。
昭和43(1968)年12月26日 森駅
除煙板切り詰め前、五稜郭区時代の姿になります。除煙板の点検口は蓋付き。
ドーム前の手摺は釧路工場製のようです。
昭和48(1973)年11月26日 岩見沢第一機関区
スノープラウは1119号機などとは異なり4段折れ。
給水温め器にへこみが見られます。
ランボードがシリンダ部で屈曲しています。これで走り装置に影響はなかったのでしょうか。
昭和49(1974)年3月25日 三笠←萱野
当時、機関車の単機回送は珍しくありませんでした。今は定期の機関車牽引列車そのものが貨物列車以外ほとんど存在しないので、こうした列車は見かけなくなりました。
昭和49(1974)年12月31日 沼ノ端→遠浅
C57が牽引する室蘭本線の客車列車の中にあって、225列車はD51が牽引しておりました。前回の単機1119号機を撮影したのとは、上り千歳線の橋梁を挟んで反対側の場所。
昭和50(1975)年3月7日 苫小牧機関区
密閉キャブとキャブ側の端面を斜めに切り欠いた炭水車、そしてかまぼこドーム。炭水車に増炭枠はありません。給水ポンプ上部のランボードの形状ですが、後方のスロープが急角度になっています。公式側の空気圧縮機の方は普通の形状のようです。
昭和50(1975)年3月16日 沼ノ端←遠浅
蒸機がタンク車なんか牽いて大丈夫かいな、と思いながらシャッター切ってました。でもそれなら蒸機がチップ貨物や石炭列車を牽くのも危険ということになりますね。
コニパンSSで撮影。コニカがまだ小西六だった時代。
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