ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 1078

田中 泰三様と江別の鐵様と’撮り人不明’様の画像の転載はご遠慮下さい。

昭和42(1967)年8月26日 平機関区

原ノ町機関区時代の姿で、この2か月後、常磐線の電化に伴い北海道へと移ります。

LP405の前照灯、腰高の補助灯がここの特徴だったでしょうか。

 

昭和47(1972)年6月18日 鷲別機関区

北海道仕様に改装された姿を正面について見てみると、前照灯をLP403に置き換え、補助灯の高さ変更、番号板の上方に灯具掛け設置、エプロン設置、除煙板に吊り上げ用の穴穿孔、前端梁の灯具掛け撤去、前端梁にスノープラウ固定用ボルト孔穿孔、サイドステップの踏段補強などが確認できます。なお側面の送水管カバーは当然撤去されています。

車歴表によればこの時期の配置は岩見沢一区となっていますが、画像ではすでに小樽築港区の配置となっています。私が撮影した下の苗穂機関区での画像も区名札は「築」となっており、撮影時期は昭和47年で間違いありません。小樽築港区が借り入れでもしていたのでしょうか。

 

昭和47(1972)年8月6日 苗穂機関区

砂撒き管が3本平行で直下というのは、まるで汽車會社製のようです。まさか日本車輛から汽車會社に外注されたとか・・・。なおD51の落成トップの14号機を製造した汽車會社は、1000番代の戦時型を1輌も製造していません。

 

昭和47(1972)年8月 千歳→美々

美々へ向けて、石勝線越えのための築堤を上る上り列車。左下に見える線路は下り千歳線で、その右にある道路は石勝線が敷かれる用地。架線がないと空がとても広く感じます。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D511078