田中 泰三様とSAMPUKU爺様と’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮下さい。
昭和42(1967)年8月19日 盛岡機関区
腰高の補助灯は盛岡区所属機の特徴でしょうか。
除煙板の上部ステーは、屈曲した癖のある形状です。
油ポンプ箱の蓋が開放されているのは、暑さで油がサラサラになるのを防ぐためでしょうか。この油は蒸気室とシリンダーに送られるもので、高温蒸気に晒されるため、高い粘度を有します。
サイドステップの下踏段は、冬期間の滑り止めのため、グレーチング構造になっています。
排障器は、垂直材が撤去されています。
昭和43(1968)年10月 浜田機関区
キャブ下のごちゃごちゃした配管は多くがブレーキ関係のものです。
左右に沢山のパイプが接続されているのが分配弁で、元空気ダメからの圧縮空気を各ブレーキシリンダーへ送ります。その下には渦巻塵取があって、分配弁に送られる圧縮空気内の塵や水分を除去します。塵取の下に見える太目の蛇腹パイプは、炭水車からの給水配管で、機関助士席にある注水器(インゼクタ)へ送水されます。ボイラー内へ給水する装置としては給水ポンプもありますが、給水ポンプが力行運転時に使用するのに対して、注水器は惰行運転時や停車時に使用します。その給水配管の右側にある2本のホースがブレーキ管で、1本は炭水車用で、もう1本が連結車輛用のものです。
昭和45(1970)年12月14日 岡山機関区
盛岡区時代の補助灯や炭水車上部の重油タンクは撤去されています。
浜田区から新見区へ移り、キャブ側面にタブレットキャッチャーが取り付けられた関係で、番号板は下へ移設されています。
スノープラウは盛岡区時代のものではないようです。
廃車後は岡山市で静態保存中。集煙装置が外されており、煙突が短めなのが分かります。また、煙室戸の中央ハンドルがちょっと変。
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