田中 泰三様と江別の鐵様の画像の転載はご遠慮ください。
昭和48(1973)年11月26日 名寄機関区
11月末でもうすっかり冬景色。蒸気の出具合から、寒さも半端無さそうです。
「反戦」(「戦」の字は造字)と叫びながら国民までを敵に回して、こいつら一体何をしたかったんだか。その結果が国鉄解体。JR社員になれなかったり、入社してもロクな仕事をさせてもらえなかったりと、そのツケはあまりにも大きかった。
除煙板の上部ステーですが、公式側の前部だけが跳ねあがった形状をしています。
昭和49(1974)年9月2日 旭川機関区
キャブは密閉化済。
これも日車製なのに、1090号機同様、砂撒き管は3本平行の汽車會社タイプです。
昭和50(1975)年8月 三笠駅
幾春別側を向き、駅構内で入換をしているショットのようです。現在、キハ80系を展示している辺りでしょうか。ドームは標準型。後方には連なったセキ車の姿があります。
昭和50(1975)年11月10日 追分駅
豪快に煙とドレーンと轟音を吐き散らして発車するシーン。フツーの人々が蒸機の虜になる典型的なワンシーンでしょうか。
廃車後は個人が購入し大切に保存していましたが、現在は筑西市の民間施設に引き取られ、何輌もの鉄道車輛とともに保存展示されています。
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