ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 953

SAMPUKU爺様と江別の鐵様の画像の転載はご遠慮下さい。

昭和42(1967)年8月7日 旭川機関区

胆振縦貫鉄道のD5104号機。前回の記事の画像で、952号機の隣にいます。952号機より一足先に除煙板の切り詰めはなされていますが、サイドステップは前端梁に移設されておらず、兄弟機なのに様相が異なっています。ギースル装備は共通ですけど。

 

昭和49(1974)年8月 蘭留→塩狩

塩狩峠を往きます。最後尾に補助機関車が連結されているかどうかは不明です。

 

昭和49(1974)年9月2日 旭川機関区

戦時型の1052号機と並びます。舟底形式の1052号機炭水車との構造の違いが分かります。

 

昭和50(1975)年3月21日 苗穂工場

828号機と共に苗穂工場に現れた953号機。いよいよ解体か・・・でも番号板は付いたまま。旭川区から岩見沢一区への配置替えに伴い、苗穂工場で何らかの整備でもあったのでしょう。

 

昭和50(1975)年6月29日 由仁駅

宗谷本線を離れ、晩年は室蘭本線で勇姿を披露。後部標識灯が1灯から2灯に増えました。炭水車の落書きは余計です。「7月ダイヤ改悪阻止」と書かれており、実際、ストの影響で7月1日のダイヤ改正は18日にずれこみ、駅の窓口には白い表紙のポケット時刻表が急遽用意されました。そのポケット時刻表をせっかく赤平駅でもらったのに、どこかへ無くしてしまいました。このダイヤ改正では485系1500番代によるL特急「いしかり」が登場して大いに話題になりました。

 

昭和50(1975)年11月2日 栗沢駅

栗沢~栗丘間は単線なので、下り普通列車との行き違いのため、20分ほど停車する1296列車。その間、ちょっとした撮影会が楽しめました。炭水車の落書きは「反戦反安保斗争勝利」と、国鉄の経営には無関係なことが書かれています。動労の無軌道振りにはあきれるばかり。ま、こいつらのお陰で蒸気機関車が延命された事実には感謝ですけど。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51953