田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮下さい。
昭和42(1967)年8月12日 岩見沢第一機関区
ギースル機です。九州からはるばるやって来た1042号機ですが、異動からだいぶ年数が経っているせいか、九州っぽさは感じられません。
除煙板の切り詰め前ですが、補助灯は設置済み。
後年、北海道では撤去された清缶剤送入装置がまだ載っています。油ポンプ箱もランボード上にあります。
「架線注意」札を正面に3枚を掲げ、除煙板も切り詰めされ、すっかり北海道機となっています。解放テコの両端つかみ部が長くなっています。というより、それまでのが短かったようです。
かなり窮屈感のあるキャブ側面の番号板。どういう判断によるものなのでしょう。
九州時代、タブレットキャッチャーとの干渉を避けるため、多くのD51が番号板を前方に張り出させていましたが、その張り出し量を抑えるために短く作り直した?とか。
昭和47(1972)年6月17日 苫小牧機関区
思わず「あちゃ~」と眉をひそめたくなる「スト仕様」。ホント勘弁して欲しいです。
たとえ舟底式炭水車であっても、密閉キャブの場合にはキャブ側端面は斜めにカットされ、またキャブへの昇降用梯子は、炭水車からキャブへ移設されています。
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