ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 1052

田中 泰三様と江別の鐵様の画像の転載はご遠慮ください。

昭和47(1972)年8月6日 苗穂機関区

炭水車に目をつぶれば、機関車本体は標準型そのものと云えるでしょうか。

ドーム側面には汽笛を挟んで大きめの手摺が2本あります。こんなの初めて見たような気がします。

キャブ側面の番号板は、1042号機同様、数字の並びがかなり窮屈です。

密閉式キャブの後妻の開口部には、冬季用のカーテンが巻き上げられているのが確認できます。明り取りの円窓も見えますね。

炭水車のキャブ側端面の上部切り欠き形状は、アールのない独特なもの。

増炭枠は気持ち程度の高さですね。

炭水車の車輪はスポークタイプと六個孔明きディスクタイプが混在しています。六個の孔はどういう意味なのでしょうね。先輪などの二個孔明きは、クレーンで吊る時の引っ掛け孔ですけど。

 

昭和48(1973)年11月26日 名寄機関区

正面と炭水車の番号板は、数字の並びに余裕があります。

雪まみれの1052号機を、田中 泰三様も雪まみれになって撮影したのでしょうか。

 

昭和49(1974)年8月 音威子府

公式側のドーム側面に大きな手摺はなく、通常の小さな手摺のみです。

あまり煙も上げずに発車したところでしょうか。江別の鐵様は汗まみれ?

 

昭和49(1974)年9月2日 旭川機関区

機関庫の中で休息中の姿。窓からの光による番号板の輝きにグッときちゃいました。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D511052