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昭和42(1967)年8月6日 苗穂機関区
関東の新小岩機関区から岩見沢機関区へ転属になって間もなくの頃になります。
大宮工場担当機らしく煙室戸の十字ハンドルが凛々しく見えます。
最初の冬を迎える前なので、前端梁にスノープラウ固定用のボルト孔はまだありません。
長万部町民センターに第二動輪が保存されているようです。
にしても苗穂機関区。何度か訪問し、カメラを持たずにただただ見学したこともあります(勿体ない!)。構内にはいつも黒煙が漂っており、帰宅してから鼻をかむと、鼻紙はいつも黒ずんでいましたっけ。事務所で記帳した後、ヘルメットを借りれば、後は比較的自由に撮影できました。デッキやキャブに上がって番号板の拓本するファンを見たことがありますが、通りがかった職員は注意することもありませんでした。(隣接する工場に入るとこっぴどく叱られますが。)何となく写真を撮っただけで満足し、今なら観察しながら全体や部分をじっくり撮影するでしょうけれど、当時はそこまで構造を追求する好奇心は薄かったです。被写体に対しては、一期一会の気構えでレンズを向けるのが礼儀でしょうね。
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