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昭和47(1972)年6月14日 苗穂工場
書類上は廃車前ですが、すでに火は落とされ番号板は外され、すっかり廃車風情を漂わせています。ボルトの配置からして、番号板はかなり高い位置にあったようです。
排障器では前方の垂直材が撤去されています。
向かい合わせの手前の機関車では前端梁の裏が見えており、その構造が垣間見えます。
給水温め器の煙室切り欠きは工作容易な角切りです。標準型でもこのような構造はよく見られますが(特に北海道では)、カバーを取り付けて隙間を覆い隠している機関車も数多くいます。
給水温め器と煙室が交錯する部分の隙間は、美学的見地からカバーで覆っていたのでしょうか。カバーの図面を起こすのは結構面倒臭そうです。
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