ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 1079

matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮ください。

昭和45(1970)年8月21日 秋田機関区

四国は高知機関区に在籍したことのある13輌のD51のうちの1輌です。土讃本線用に投入されたもので、当時増大する貨物輸送に対応するため、それまでのC58に代わるもの・・・と思いきや、実は進駐軍による朝倉基地(高知市)への輸送力増強が目的でした。しかし土讃本線は丙線のため、本来ならD51は入線不可なのですが、そこは有無を言わせない進駐軍の命令、速度制限をかけて強引に走らせたと言われています。

結果的には一般の貨物輸送の増大にも対応できてめでたしめでたしとなるわけですが、実は四国に集結したD51は、故障や事故で休車だったり不調なものの寄せ集めでした。それを多度津工場で入念に整備した上で運用に就かせていたのだそうです。土讃本線は名にし負う険しい山岳路線でトンネルも多々あります。後に重油併燃装置や集煙装置を搭載して乗務員への負担軽減を図ります。

昭和34(1959)年に無煙化の旗手としてDF50が投入されたことで翌年、D51は本州へ戻されます。そのしんがりを務めたのが1079号機でした。

木板を鋼板に差し替えただけのような折れ目の無い除煙板と上部ステーの跳ね上がった造り、そして段違いの手摺が特徴的です。土崎工場担当機の特徴であるエプロンは、相変わらず角が危なっかしい。画像で確認できない所では、四国時代とは異なる3000リッターの重油タンクを炭水車上に搭載しています。東北機の特徴として、キャブ屋根の延長も怠りません。炭水車は同じ四国組である1127号機と振替えていますが、その理由は何なのでしょう。高知区投入前の振替ですが、両機揃って四国へ移ったのは宿命でしょうか。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D511079