ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 1103

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年8月8日 新得機関区

新得機関区は、かつて旧狩勝越えの前線基地でありました。現在の新線は、この前年の10月1日に開業しているので、この画像の時には既に新線に切り替えられており、新得機関区所属のD51の運用から狩勝越えは消滅し、新得~釧路間で任務にあたっていました。一方、1103号機が所属していた池田機関区のD51は運用が新得~池田間と短くなっています。しかも不思議なことに、新得区にはD51が4輌しか配置されていなかったのにもかかわらず、池田区には19輌も配置されていました。配置輌数は運用範囲に反比例している?

正面の番号板は、1100号機~1102号機に比べ幅が狭くなっており、その分、機番の「11」の間隔が極端に狭くなっています。同じ日車名古屋製なのに、どうしてこんな違いが生じるのでしょう。

除煙板上部ステーごしに見えるドーム前の手摺は釧路工場製のものですが、同工場担当機である本機には、それまで除煙板と煙突付近とを結ぶツララ切りも装備しておりました。撤去されたのは、狩勝新線開業と関係があるのでしょうか。

背後に見えるのは新得山でしょう。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D511103