ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 1127

田中 泰三様と渡部洋様とSAMPUKU爺様の画像の転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年8月13日 滝川機関区

D51として四国での運用経験を持つ13輌のうちの1輌。

除煙板の切り詰めは比較的早い時期に実施されたようです。

番号板は、上部両端が煙室戸の縁辺りまでの高い位置になっています。

尻棒の断面が左右で異なっています。

 

昭和47(1972)年4月9日 苗穂機関区

裏当ての補強版はリベット留めなのでしょうか。屏風は上端だけリブを設けて剛性を持たせていますが、向かって左側の上部ステーがヨレヨレになっています。

 

 

昭和49(1974)年10月27日 赤平駅

角ばった除煙板とかまぼこドームは、ある意味調和が取れているように感じます。美しくはありませんが。

砂撒き管は3本並列タイプ。日車の標準では3本目の砂撒き管が、下部で後方へ折曲がる形状なんですけど、どうしてこういう汽車會社タイプになったんだか。

 

昭和50(1975)年4月9日 沼ノ端←遠浅

チップ輸送のトラ90000形式の姿があります。この当時は、割とよく目にした貨車です。蒸機時代には札沼線の貨物列車にもつながっておりましたし。苫小牧か萩野へ輸送されるのでしょうか。その後ろのセキ車は室蘭港までは輸送されずに、途中の駅で切り離されるような気がします。

 

昭和50(1975)年夏 滝川駅

珍しく前照灯を点灯させての運転です。タービン発電機も蒸気を噴き上げ、なかなか勇猛な発車シーンです。

 

昭和50(1975)年11月10日 追分駅

こちらも典型的な勇壮な発車シーン。当時、生録をするファンにとって、ドレンの音は高周波過ぎて、結構厄介だったのではないでしょうか。メタルテープがあれば良かったのでしょうけれど、収録機材と共にそれが一般に出回るのは4年後のことです。それにしてもカセットテープはいまだに使用されており、実に息の長い記録メディアです。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D511127

北海道に来る前の履歴がやたら詳しいですね。