田中 泰三様と’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮ください。
昭和43(1968)年1月25日 豊岡駅
1127号機同様、これも四国での運用経験を持つ機関車です。
重装備に加え担いバネカバーの上にはウェイトを載せており、スノープラウ装備と相まって重厚さが増しています。重油タンクは四国時代に多度津工場で設置されたものでしょうか。スノープラウ下端には左右に1枚ずつ、踏段のようなプレートがあります。レール上の雪を掻き上げる効果でもあるのでしょうか。
炭水車には増炭枠が設置されています。
画像では確認し辛いですが、キャブ側面の番号板の「D」の下方に細長いプレートが貼ってあります。これがボイラーのX線検査実施を示すものです。新缶に交換しているのにちゃんと検査はしているんですね。
非公式側にはない送水管カバーが、公式側にはあります。
昭和44(1969)年11月23日 岡山機関区
なんか光沢を帯びていますね。検査上がりなのか、それとも何かの記念列車を牽引するためのお手入れだったのか。
重油タンクの台座カバーの形状が変更されています。炭水車から増炭枠が撤去されています・・・・などと思ってよく見ると炭水車は8-20B形式じゃないですか。振替の理由は何でしょうね。
昭和45(1970)年2月11日 鳥取機関区
給水温め器の帯板バンドが左右で幅が異なっています。
除煙板は、後端のみリブ補強されています。また前部の上部ステーの取り付け位置が煙室端面ではなく胴部になっているのが特徴的です。公式側の後部上部ステーには屏風側に何やら補強らしき部材が取り付けられています。
スノープラウの踏段状の板が跳ね上げられています。
昭和47(1972)年8月27日 浜田機関区
公式側の除煙板後部上部ステーの補強らしきものは撤去されています。
番号板の両サイドは、盗難防止用に上下のボルト同士を棒鋼で溶接しているようです。
運用範囲の関係からか「架線注意」札はありません。でも米子区時代には岡山へ行ってたんですけどね。
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