ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 1161

岩田弘志様の画像につき、転載はご遠慮ください。

撮影日、撮影場所不明(昭和30年代後半)

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D511161

日本窒素株式会社が発注し、敗戦間近の昭和20(1945)年1月に落成したものの、中国海南島へ送られるはずだったのが、戦局の悪化で輸送困難となり鉄道省国鉄)が引き取った機関車です。落成されてから新製配置されるまでの2か月間は様子見だったのかもしれません。それにしても新製配置以降、1年ほどの間にあちこちの機関区をたらい回しされたのにはどんな理由があったのでしょう。
当然ながら戦時設計で製造され、改装後も色濃くそれが残っています。上部が切り欠かれた煙室戸、少し背高で上部折り曲げのない除煙板、かまぼこドーム。戦時設計とは無関係と思われる前照灯の庇(まさか灯火管制用ではないと思います)が粋です。ATS用の蒸気タービン発電機が未設置の時代です。なお、密閉キャブで新製された唯一のD51でもあります。
ボイラー新缶への交換が実施されなかったこともあってか、SLブームの初期、全国各地にうじゃうじゃいたD51なんぞ見向きもされなかった昭和42(1967)年に廃車されています。そのため、写真の記録は乏しく、ネットでお目にかかることはできません。今回アップした画像は、全然鉄道ファンではなかった故 岩田弘志様が出張途中でたまたま撮影したネガを、ご子息が所有されていたからです。ご子息は生粋の鉄道ファンです。

 

「白鳥」が新設されて間もない頃を思わせる端正な顔立ちのキハ82タイフォンに蓋がない姿は珍しいかも。当時、岩田弘志様は胆振支庁の商工観光部に勤務し、全国各地を視察していたそうです。運転台を除くのは、岩田様の同行の方でしょうか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E7%94%B0%E5%BC%98%E5%BF%97

1161号機を撮影されたのは、特別急行「白鳥」に乗車し関西方面へ向かう途中だったと思われます。

撮影日、撮影場所不明(昭和30年代後半)

政治家としては16年間、室蘭市長として様々な実績を残したことはウィキなどで調べることができます。蝶ネクタイが時代を感じさせます。9号車は2等車のキハ80のようですが、足元のスリッパは持参したものでしょうか。柄入りの靴下が洒落ています。

ファンでもない人が、何気に撮影された鉄道写真の中には、こうした貴重なものが死蔵されているのでしょうね。

次回はいよいよD51のフィナーレとなります。