ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D52 204

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像の転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年8月11日 五稜郭機関区

前回の202号機とほぼ同様のディテールに見えますが、解放テコの幅が204号機は広めになっています。

 

昭和47(1972)年6月13日 五稜郭機関区

D52では唯一の切り詰め除煙板。上端部は原型を残しているので、奇妙なフォルムになっています。前端手摺はフロントデッキに直付け。1輌だけの改造に終わったのは、切り詰めしても大して効果がなかったということなのでしょうか。

D52は北海道機であっても後部標識灯は前端梁に設置しています。前側の解放テコは幅が狭いです。204号機もかつては集煙装置を搭載していました。

 

昭和51(1976)年1月10日 苗穂工場

夜の苗穂工場構内に侵入してこのD52を撮影しようと企てました。したっけ丁度その時、ゲートの所に見回りの職員の人が来たところだったので撮影をお願いしたら「他の人が来ないうちにさっさと撮影して帰りなさい」と言ってくれたので、急いで撮影したのがこの3枚。露出は適当に決めましたが、そこそこ露光していてホッとしました。撮影している時は、雪明かりで多少は光が回っていたとはいえ、切り詰め除煙板には気づきませんでした。保存を前提に、廃車後しばらくは五稜郭区に留置していたそうですが、結局は引き取り手が見つからなかったらしく、解体のためにここ苗穂工場に送り込まれました。梅小路蒸気機関車館の468号機以外、D52を傍で見たことがなかったので、廃車体とはいえ、間近に見られて本当に良かった。10分ほど撮影した後、一礼して工場を去りました。

廃車体では煙室戸のハンドルがことごとく取り外されますが、これは部外者により煙室戸が開けられない様にするための処置なのでしょうか。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D52/D52204