ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D52 72

田中 泰三様と’撮り人不明’様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年8月20日 国府津駅

前回の70号とはひとつ飛んだ弟機です。しかしなぜかこの機関車には除煙板に点検口があります。短い貨物列車は、D52にはあまりに役不足

フロントステップでは第一踏段と第二踏段とは90度向きを変えていますが、原設計では2段とも前方を向いていました。つまり、第一踏段を後年、90度向きを変えたことになります。確かにこの方が昇降しやすそうです。解放テコはその邪魔にならないように幅広になっています。その解放テコですが、取っ手部にあるべき屈曲部がありません。戦時設計の名残でしょうか。

 

昭和43(1968)年2月10日 沼津機関区

3本ある砂撒き管は、戦時設計では2本。第一動輪と第三動輪の前方に据えられていました。なぜ第二動輪ではなく第一動輪だったのでしょうね。戦時設計なのに、1号機と21号機は砂撒き管をケーシング内に収めるという謎の手の込みよう。

改装工事で砂撒き管は3本となり、1,2,3各動輪の前方に設置されましたが(28号機の画像を参照)、御殿場線のD52はバック運転の運用があるため、第一動輪は止めて、第三動輪の前後に据えています。

 

昭和43(1968)年6月2日 松田駅

ランボードスロープ部の頂上付近には、片側2本ずつ「つ」型の部材が取り付けられていますが、これはなんのためのものなのでしょう。構造的にはランボード先端に折り畳み式のプレートが2カ所の蝶番で固定されており、これを180度回転させて「つ」の字型支持材の上に載せるとランボードが延長される格好になります。給水温め器が移設されていない2、126、417号機などにはない装備なので、給水温め器の点検用なのかもしれません。一部のD51には除煙板に隠れる位置に、煙室回りに踏段の付いたものがありますから、それと同じなのかもしれません。ただ例外として瀬野区の131号機や五稜郭区の202号機には装備されていません。無ければ無いで、どうして撤去したのか気になります。いや、最初から装備していなかったのかな?

 

前回記事の70号機と同じ日に撮影されたSL列車のお別れ装飾です。鉄道友の会が用意したヘッドマークです。

 

こちらの装飾は別バージョン。国府津機関区職員の手によるものでしょうか。十字ハンドルのペーパーフラワーが乙女チックです。機関士さんも記念撮影。

 

昭和43(1968)年6月30日 国府津機関区
兄貴分の70号機は昭和28年の改造でしたが、72号機は昭和30年の改造です。検査標記は昭和42年12月。まだ半年しか経っていません。廃車にするには勿体ない。

幅広の車体だけに手摺は車輛限界を越えないように、D51のように外に張り出す構造ではありません。
廃車後は地元御殿場駅前で保存中。前照灯はLP403に交換されています。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D52/D5272